記憶という名のパトローネ、OM-1に詰め込んで空シャッターを切る喜び。

M2さん企画「OMでトラックバック!【 俺のOM曝そうぜ!】」に参加させていただきます。
フイルム一眼レフはリアルでOM-1を使っていましたが、社会人になってから暫く写真そのものから離れていました。仕事場でEOS-1が導入され一眼復帰、まるで自分のカメラのように愛玩していました。その後独立をした機会に、同じくEOS-1を導入、ポジ撮りの日々を過ごす毎日を満喫していました。そして時代はデジタルへ、レガシーなシステムに疑問を感じ、E-1に共感したことで何十年振りかにOlympusへ復帰したのでした。そしてある日またOM-1ユーザーになっていたという訳です。【OM-1の過去アーカイブ

モノクロフイルムも自家現像まで舞い戻り、そのプロセスとあの現像液の匂いに思い出が甦ります。私にとってOMは多感な時期のキーワードアイテムで、側にあるだけで記憶を留めることができるそんな存在です。例えOMを模したデジカメがでても置き換わるようなそんな代物ではありません。

5件のコメント

  1. yy2828yyさん

    コメントありがとうございます。

    E-SystemとOMを同じ土俵で比べること自体、ナンセンスなんだと
    E-システムは、システムとしての壮大なビジョンも、
    カメラとしての一貫したポリシーもなく、
    単なる消費材としてのデジタルカメラに成り下がってしまってる。
    マウントだけは継続してもらえばいいです。と言う感じです。

  2. M2pictさん
    TBお世話様でございます。
    愉しませて頂きました。
    OMをリアルで使ったその頃の記憶が、OMとシンクロしてますね。
    デジタルに多くを期待するのは、やめました。
    出たものが自分のスタンスにマッチしていれば使ってみようなって感じで
    OMの代替えをEに求めるのも、違うんじゃないかと。。
    私も楽なスタンスで、オリンパス祭りを楽しみたいと思います。
    E-1の500万画素からすると、今度のOMは3倍強、E-300の2倍。
    ここまで来ると、全てが別物じゃないかなと思います。

  3. こんばんは。
    OMの美しさは基本を蔑ろにしないところにあると私は思っています。
    そんな米谷氏の「作品」は、ひいては先達に対する敬意のもとに成ったんだと。
    E-SYSTEMにはそれが感じられませんでした。
    双方ともに後発でありながら明暗を分けた要因だという気がします。

    力強いおことばに私も酔わせていただきました。
    ことばの誤用が一般化してしまうことも少なくないように、そうならぬためにはキチンと伝える人が必要だと感じ入った次第です。

  4. TBへ参加頂き、ありがとうございます。
    久々でしたし今更、と思わなくもなかったのですが、
    新時代のOMが立ち上がろうとするこの時期、
    敢てオリジナルのOMを姿を、それぞれの使い手の
    思いのこもった画で見てもらうのもいいかと思いました。

    この世代の“おじ”としては、なんというか、
    持った瞬間にフィルムベースの匂いまで蘇ってくるような記憶の石タイムマシン。
    そんな存在でもあるかもしれません。
    そういうものを新しいモノに求める事はないですね(^^

    新しい“OM”がどういうモノになっていくのか。
    新しい“オリンパス”がどうなっていくのか。
    今風に「いつでもマウントごと変えちゃうよ」というような、
    そんな楽なスタンスで見ていようかと思ったりしています。

  5. ピンバック: M2_pictlog

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