この草が生い茂ると、脳内では幼少時の夏のにおいで溢れます。夏休み・夕立・蝉時雨れ、心配事と言えばおやつが何かと宿題のの事くらい、明日への不安を考えることもなく、人生毎日があーぽんで過ごせた、クーラーもゲームも携帯も無かったけれど今想えば、近所の子単位で遊び、小学生から高校生が遊びながら自然と縦社会のルールを学んでいました。体で覚えた痛みや喜びはその後の人生において基礎となっている事も多いと思います。まだ「いじめ」と言う概念も行動もない平和な時代でした。
今の時代、年齢差がある中で遊ぶ事も少なく、ましてや塾や習い事で、遊ぶ時間さえもない現代っ子は、ゲームの中で殺戮や暴力を体感し、上手く行かなくなるとリセットで切り抜け、何もかも再プレイして無かったことにする仮想世界で生きている。痛みや生身の人の気持ちを知ることなく、大人になっていく。すべてがおかしくなっている、政府と東電、教育委員会と学校、私には同じに見える。