土曜の釣行は、クロ(メジナ)31.5㎝1尾でした。頑としてしてチヌ釣一本だったのですが、いつもの釣り場で今年はクロも上がっていることもあり、何度かクロ用の撒き餌で釣ったりしていましたが、30㎝超えのクロは初めてです。チヌとは違う引きも楽しめました。味はチヌより旨味のある身で美味しいくいただきました。
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ネコ大喜び。
コニミノソニンパス
長いこと提携先が決まらなかったオリンパス、どうやら週内にソニーとの提携を決めるというニュースが流れています。500億円の出資後、内視鏡関係の共同出資会社を立ち上げ、新事業の開拓を行うとか。また、カメラ事業においては、共通部品化も検討されているようで、これは場合によっては面白い事になるかもしれませんね。
一番に考えられるのは、オリンパスのゴミ取りがSONYに搭載されたり、αマウントのZDレンズがでたり、5軸ブレ補正なんかも移植されたりするのか?って、SONYからは何が来る?最新の影像素子かな?まぁ、光学メーカーとして生き残って欲しいオリンパスですから、500億円の出資を頂きありがたいことです。SONYに感謝!
メードインジャパン。
シグマの山本社長インタビュー記事がデジカメWatchに掲載されています。記事文末に紹介されている会津工場の紹介ビデオが必見です。レンズを作るって想像以上に設備投資が必要なんだと、改めて思いました。そしてこの投資とレンズ製作を国内でやっているというのが素晴らしい。毎度のことですが応援したくなる山本さんです。
シグマのことは詳しくは知らないですが、私が写真を始めた頃から存在していました、サードパーティの所謂安かろう悪かろうという感じ。まだ出たばかりのズームレンズという新分野で、高倍率のズーム比を積極的に挑戦していたという印象です。
メーカー製レンズの画質を何時か追い越し、安かろう悪かろうというレッテルをいつの日かはがしてやる、みたいな目標の元日夜開発されてきた先代、などと勝手に想像しています(^^;
この円高続きの日本、儲け主義だけならとっくに海外で安く作っているでしょうから、日本でというか地元で造り続ける秘めたポリシーがあるのではないでしょうか。そんな気概を感じるvideoでした。
シグマの歴史と歴代のレンズ、そして現行全機種の撮影サンプルなどちりばめた本など出たら欲しいな。
Olympus M.ZUIKO DIGITAL ED 60mm F2.8 Macro Samples2
sample2と言うほどでもないですが、OM-Dのスペシャルサイト内LENSに早くもOlympus M.ZUIKO DIGITAL ED 60mm F2.8 Macro がラインナップされ、小さいですがサンプルも4点ほどアップ。昨日のROBIN氏の写真を見た後ではちと拍子抜けの感もありますが、まぁ本家のサンプルですから一応ご紹介。
で、本命はこちら、とってもマニアックなサンプルだこと(^^)
そしてマクロレンズの本領発揮と言うべき感動ものの精密描写がしびれるサンプルです。ヌケが良いというか、素敵すぎます。これ見ちゃうと絶対欲しくなっちゃいます、心してクリックしてくださいませ。
この「LENS」や「単焦点」のカテゴリーにも入れてもらえず、アクセサリーに分類された「ボディーキャップレンズ BCL-1580 (15mm F8) 」がサンプルの項目もなく、ちと不憫に思えてきました。ネット上にもまだサンプルを見つけることも出来ません。これはもしかしてまだ最終製品が出来上がっていないのか?と勘ぐりたくなる程です。
製造国ははたしてどこなんでしょうね、支那だとしたらこのところの騒動と輸出の検閲遅れのあおりを受けて10月上旬発売予定が、変わらなければ良いのですが・・・
さて、本日も夕方から夜釣り予定です、先週は帰り際にまたしてもばらしてしまい悔しさだけをお持ち帰りしました。感触は先日の49.5cmよりも大きかったのですよ。取り込む際に、いきなり走られ竿を立てる間もなく、プチッと逝かれました。
意外と。
Olympusの15mmF8.0のボディキャップレンズ、全体のリーク写真がでましたね。レバーによるレンズバリアー機能を備えているようで、これだとレンズキャップは付属されないのかも知れません、思っていたよりも安いかな。とか考えていたら価格もリークがでてますね。
ボディキャップレンズBCL-1580は10月上旬発売、店頭予想価格は5,500円前後とか。またED 60mm F2.8 Macroの方は10月5日発売、店頭予想価格は5万円前後。これが本当ならオリンパスのオンラインショップで先日のクーポン使えば4万円台という事でしょうか!
Olympus OM-D E-M5 Tokina17mm F3.5 茅
この草が生い茂ると、脳内では幼少時の夏のにおいで溢れます。夏休み・夕立・蝉時雨れ、心配事と言えばおやつが何かと宿題のの事くらい、明日への不安を考えることもなく、人生毎日があーぽんで過ごせた、クーラーもゲームも携帯も無かったけれど今想えば、近所の子単位で遊び、小学生から高校生が遊びながら自然と縦社会のルールを学んでいました。体で覚えた痛みや喜びはその後の人生において基礎となっている事も多いと思います。まだ「いじめ」と言う概念も行動もない平和な時代でした。
今の時代、年齢差がある中で遊ぶ事も少なく、ましてや塾や習い事で、遊ぶ時間さえもない現代っ子は、ゲームの中で殺戮や暴力を体感し、上手く行かなくなるとリセットで切り抜け、何もかも再プレイして無かったことにする仮想世界で生きている。痛みや生身の人の気持ちを知ることなく、大人になっていく。すべてがおかしくなっている、政府と東電、教育委員会と学校、私には同じに見える。